恋を持たないひとつの生き方。

アロマンティック・アセクシャルと言うセクシャルマイノリティの30代未婚女子の独り言です。

セクシャリティを「自認」すること。

皆さんはどんなタイミングでLGBTアセクシャル含む)を自認しましたか?
 
私の場合、10代~20代半ばまでは興味の対象が趣味に全振りしていて(まあ今もですけど)それでもどこか他人事のように
 
「行動範囲が広がればそのうち彼氏が出来るだろう」
「さすがに30くらいになったら結婚願望も生まれるだろう」
「恋愛にはタイムリミットは無いけど出産は遅くなるほどリスクが高まるし、子供が欲しいと思えば真面目に婚活するだろう」
 
そんな風に呑気に考えてた。
26を過ぎ、周りの友人たちがどんどん結婚していく。
結婚したいと言う友人は真面目に婚活をしている。
30歳の頃、重い腰を上げて周りに合わせるように婚活イベントなどにも参加してみた。
 
疲労だけが溜まり、何一つ残らない。
他人に対して、興味が持てない。
 
仕方がないので、35歳くらいになったらまた頑張ればいいや…とそっと諦めた。
 
20代後半は「彼氏が居ない」ということ、「結婚できないこと」に対する劣等感が酷くて、何となく適当な笑顔で友人たちの話を聞いていた気がする。
紹介するよと言ってくれる友人も何人も居たけど、残念ながらなに一つまとまらない。
そりゃそうだ、だって興味が持てないんだもの。
非常に申し訳ない気持ちになるから、少しずつやんわりとお断りするようになった。
 
そんな中、私はアセクシャルという存在を知る。
一番最初にその単語を聞いたのは恐らくTwitterで、LGBTと言う単語が少しずつネット上では耳にするようになり、TVではまだあまり話題に上っていなかった頃だったと思う。
 
私にはレズビアンの友人がいる。
なので、セクシャルマイノリティという言葉は知っていたし、同性愛に対する偏見は無かった。
ただ、LGBTよりももっと細かく分かれる中で「他人に恋愛感情が向かない」ことがセクシャリティの一つとして存在することを初めて知った。
そのとき、自分がそうである可能性、そして他にもそういう人がいるんだという安心感を覚えた。
 
ただ、難しいのはここからだった。
同性に対して「恋をする」「性的な欲求を抱く」ことは自覚しやすい。心に折り合いがつかなくて受け入れられなくて悩むことも沢山あるだろうけれど「あること」はいずれ証明が出来る。
対して、アセクシャルは「ないこと」だから証明が出来ない。
あくまでも、自分がそうだと「自覚している」「自認していること」だけが全てなのだ。
 
自認っていう言葉は、なかなかに重い。
 
なので、先日も書いたけれど、あくまでも「現状は」そうだと「自認している」。
今の自分にとってはそれが自然な状態で、正しい感情だと思っている。
それ以上でもそれ以下でもない。
他者に対しても、ただその事実を説明することしかできない。
 
 
あまり期待はしていないけれど、今後奇跡が起きて、盲目的に誰かに恋をすることがあるかも知れないから、大きな声で「私は恋はしないんだ!」と断言はしたくない。その可能性を積極的に潰すつもりはない。今は恋をする自分なんて全く想像も付かないけれど。
 
 
Twitterは比較的若い年齢層の人も簡単に始められるSNSだからかも知れないけれど、アセクシャルのタグや単語で検索すると高校生や大学生を多く見掛ける。あと圧倒的に女の子が多い。
 
個人の自由ではあるけれど、彼女たちの場合は「まだ出会ってないだけ」の可能性も大いにあると思うので、「自認」という名の呪いを自分に掛けないようにして欲しいと思う。
性に対する情報がオープンだったり、初体験の年齢が若くなっていたりするので、集団生活をしていると「人と違う自分」に不安になることがあると思う。その気持は凄く分かる。私もそこを通ってきたから。
高校まで彼氏が居なかったけど、専門学生や大学生になって初めての彼氏ができた子は沢山いたし、社会人になって、人生で初めてお付き合いした人と結婚した友人もいる。
自分が恋をしないくせに押し売りするつもりは無いのだけど、でも自ら積極的に可能性を潰すのは少し勿体無いかな、とは思う。
若いと世界の広さにも限界があって、凄く不安だとは思うけど、無理に恋をしなくてもいいし、恋をしてもいいし、アセクシャルを自認したからといって無理に恋の可能性に蓋をしなくてもいいんだと覚えておいて欲しい。
 
人の心は移ろうものだから。
あまり思いつめないのが吉だと思う。
 
「あー…この人も色々経験してきてやっと自分が落ち着けるところに辿り着いたんだな…」っていうアラサー同世代以上のアセクシャルを自認している方には勝手に親近感を抱いて居るし、同じ様な境遇で悩んだり困ったりしていたら、励ましたいと思ってしまう。
もしもまだ年若い貴方が、今の私と同じくらいの年齢になっても恋を持ち合わせてなかったら、その時はきっと同じ様な悩みにぶつかるかも知れないけど大丈夫。
そうなったらその時に悩めばいいし、きっと誰かが手を差し伸べてくれる。
恋をしなくても、私も貴方もひとりぼっちでは無い。
 
独りじゃないと思えるのは、SNSが大流行しているこの世の中の利点だ。
傷の舐め合いでもなく、依存でもなく、ただこの世界の何処かには同志が居るという空間の心地好さ。
 
 
今日も私は恋を持ち合わせていないけど、それなりに楽しく生きていける。
願わくは、そう遠くない未来に、アセクシャルにももう少しだけ優しい社会が訪れんことを。