恋を持たないひとつの生き方。

アロマンティック・アセクシャルと言うセクシャルマイノリティの30代未婚女子の独り言です。

セクシャルマイノリティは「悪」では無い。

この数年で、LGBTという言葉が急激に世間に広く知られるようになってきた。
 
私は同性愛に対する偏見は無い。
同性愛も、異性愛も、両性愛も、それは個人の自由だと思うし、他人がとやかく言う問題でもないし。ただ、日本人っていうのは特に人と違うことを恐れたり、嫌ったり、悪いものとして捉えがちなので、どうしてもマイノリティに対する許容が狭い気がする。
 
私達は、遅くても小学生の頃から物事を決める時に多数決という方法を取らされる。
そして、多数派(マジョリティ)の意見が採用される。
それ自体は全く珍しくないし、むしろ当たり前だし、今まで特にそれに疑問を抱かなかった。
 
大人になって、自分が少数派(マイノリティ)な立場になって初めて気づく。
 
世間は、マイノリティを「悪」と履き違えがちだ、と。
 
多数決で方向を決めると言う行為は間違っていないと思う。
でも、その過程で無意識に刷り込まれていく。
マジョリティが「正解」でマイノリティは「間違い」だと。
 
その事に気付いて、凄く怖いことだと思った。
 
刷り込まれた価値観は、簡単には覆らない。
だって多数派に居ることで「自分が間違っていない」という安心感が得られてしまう。
少数派に属してしまうと「人と違う」ことがいつの間にか劣等感にすり替わる。
 
人と違っても良いんだっていう価値観がもっと広まれば良いとは思う。
それは、一方的に「多様性を受け入れろ」という乱暴なものじゃなくて「違うことは悪ではない」し、「そういう人もいる」というただの事実として認識するだけで良いはずだ。
 
感情レベルで言うと…難しいかも知れないけど。
でも、知識としては知っていても損は無いと思う。
小学生くらいからそういう教育がされるようになれば、当たり前になっていくかも知れない。
 
 
LGBTの話に戻る。
 
セクシャリティなんてとても個人的でデリケートなもの、本来は人と比べる必要なんて無いはずなのだけど、恋愛はひとりで完結しないからそういう訳にもいかず。
 
少数派のために多数派の権利が損なわれてはいけないと思うけれど、同性婚というものだけに限定して言えば、絶対的に多数派に損は発生しない。多数派の人は、今までどおり。少数派の人が、今まで受けられなかった社会的な保障が受けられるようになる。
そういう意味では、そろそろ同性婚は認められても良い気がするけど。
 
そんな中、うっかり自分が辿り着いてしまったセクシャリティ
アセクシャル/アロマンティックは、セクシャルマイノリティの中でも更にマイノリティな部類だと思う。そして、LGBTの中でもちょっと特殊だ。
場合によっては、同性愛よりも理解が得られない。
博愛な人はきっと最初はびっくりしても、例えば隣人の同性愛を受け入れられると思う。
対象が違っても、人を愛することは根本的には同じことだから。
 
アセクシャル/アロマンティックの「他者に恋心を抱かない」と言う感覚は、「恋心を持ち合わせている」大多数の人には「感覚的に」どうしても理解できないらしい。
「持っている」人からすると「持っていない」感覚は擬似的な体験が出来ないし想像が出来ないのだ。感情は物質ではないから、外部からの干渉で体験する方法が見当たらない。
 
こちらがマイノリティなのは十分過ぎるほど分かっているので理解までは求めてないのだけれど、どうか「そういう人もいる」と知ってほしい。
そして「恋愛の素晴らしさ」「恋人がいる生活の素晴らしさ」の押し売りは出来ればしないで欲しい。こちらも30年以上人間の世界で生活しているので「恋愛の素晴らしさ」みたいなものはなんとなく分かる。恋愛を題材にした作品はこの世に沢山あるのだから。そして、少女漫画も恋愛小説も、ドラマも映画も、それなりに楽しめるくらいにはわかってるつもり。
 
ただ、自分自身が恋を出来るかと考えると、どうしても難しい。
フィクションの恋愛は見ていて楽しいけど。
 
 
恋愛とアルコールは似ていると思う。
 
「すべての人が絶対的に必要」とは限らないもの。
「体質」で向き・不向きがあること。
好きな人にとっては、とても価値があり楽しかったり幸せなもの。
依存性があって、過度に依存してしまうと生活に支障が出る可能性があるもの。
付き合い方を間違えると、人生を狂わせてしまう可能性があるもの。
 
アルコールが苦手な人に、無理に勧めるのは良くないことでしょう?
最近ではアルコールハラスメントなんて呼ばれたりするし。
 
恋愛も他人に強制するべきものでは無いと思う。
それは、アセクシャル/アロマンティックに限らず。
「今」は学業や仕事を優先したいと考える人にも言えるはず。
 
恋に夢中だと、きっと世の中がキラキラして見えるのだと思う。
だから、その素晴らしさを人に伝えたくて、つい無邪気に押し付けてしまうのだろう。
 
それは、酔っ払いがシラフの人にお酒を無理やり勧めてるのと本質は変わらないと思う。
たとえ悪意が無くても、いまそれを必要としない人には共感はし難いし、本当に苦手な人にとっては迷惑になってしまう。
 
余談だけど、私はこの恋愛至上主義を押し売りする行動を「ロマンスハラスメント」と呼ぶことにした。略して「ロマハラ」。別に使わなくていいけど。気に入ったら使ってください(笑)
 
 
私は、みんながお互いに我慢を強制し合う世の中よりも、みんながそれぞれの幸せを感じられる世の中のほうが絶対にいいと思うから、セクシャルマイノリティの人たちがもう少しだけ生きやすい世の中になったら素敵だなと思う。
 
そして出来れば「恋をしない」生き方があることも知ってほしいし、そういうものとして放って置いて欲しい。
 
これはあくまでも私の考えであって、アセクシャル/アロマンティックのすべての人の気持ちでは無いし、他人の考えてることなんてわからないから、代弁者として前に立つつもりは無いけれど、もしも「恋を持たない」誰かがこのセクシャリティやそういう存在が居ることを知ることで、少しでも生きやすくなれるなら良いなとは思う。
 
 
「恋を持たない」生き方は「悪」では無いよ、と。
少なくとも、私はそう思って生きていく。