恋を持たないひとつの生き方。

アロマンティック・アセクシャルと言うセクシャルマイノリティの30代未婚女子の独り言です。

うたプリと私。

うたプリ…正式名称「うたの☆プリンスさま♪」は、2010年6月に発売されたPSP乙女ゲーム(女性向け恋愛シナリオゲーム)のことである。作曲家を目指す主人公とアイドルを目指す少年たちがアイドル養成校の「早乙女学園」で出会い、デビューを目指す物語から始まる。以降、リメイク版やファンディスク、続編、ゲーム内のリズムゲームだけを集めたもの、ハードをPS VITAに移行した移植版…何本ものソフトが発売された人気シリーズであり、TVアニメも4期まで制作され、PSP版とは異なるリズムゲームのアプリもリリース、9周年を迎えた今年も、ピーク時よりは勢いを落とすもののまだまだ十分な人気を誇るコンテンツである。
9周年の今年、ファンが長年待ち続けた劇場版が公開し、しかもその内容は物語が一切無く全編ライブという異色ながらも最高の作品となっていて、公開4週を超えても前週比を落とさない。初週には存在しなかった「アンコール」が2週目から週替りで4パターン公開され(6週目は2週目のアンコールに戻るらしい。また観たかったから嬉しい)、何度も足を運ぶファンが多いのも理由の一つである。ファンではない人から見たら「金儲けのために出し惜しみをしている、セコい」と映るかもしれないが(実際オタクじゃない友だちに言われた)ファンからすれば「どうせ何度も見に行くのだから、その都度楽しみがあって最高」なので心配ご無用だ。
生コンテンツとして、日常パートやゲーム本編では描ききれなかったアイドル同士のエピソードやサイドストーリーを収録したドラマCDや、アイドルの彼らが出演した演劇作品のドラマCD、ケイタマルヤマ氏がアイドルたちのためにデザインし、実際に制作された衣装展、アイドル一人ひとりのツイッターアカウントもあり、アイドルたちが「実在している」世界に浸れる仕掛けが沢山ある。『実在している』という概念の一方で、演者であるいわゆる『中の人』が実際に生歌やダンスのパフォーマンスをしてくれるライブも存在する。これがまた最高なのだが、語り始めると本当に止まらないので割愛する。
 
さて、そんな訳で私はうたプリというコンテンツが大好きである。
私はかれこれ6年、彼らのファンとして彼らの様々な活動を応援してきた。そしてこれからも引き続き応援したいと思う。
 
アニメシリーズやドラマCD、リズムゲームはとても楽しんでいるのだが、実は私には大変な欠点がある。このシリーズの原作とも言える「乙女ゲーム」が、非常に苦手なのである。
 
一応、主人公のデフォルトの名前は存在するし、ビジュアルもきちんと描かれている(アニメのヒロインはまさにこの子である)
自己投影せずに主人公とアイドルの恋愛模様を第三者として応援していくスタイルでプレイするやり方で全く構わないのだが、乙女ゲーはプレイヤーがストーリーを進める上で、都度選択肢が与えられて、その回答によって恋愛値が加算されていき、その数値によって異なるエンディングへと分岐していく。
 
この選択が、本当に難しい。
 
そもそも私は恋愛感情が乏しいので、どういう選択をしたら良いのか本当に全然わからない。その上、アイドルたちはTVシリーズでは描かれていない複雑なバックグラウンドを抱えていて、一筋縄ではいかない。「え?!それが(恋愛エンドを目指す上での)正解なの?!」という解答も結構ある。
基本的に各アイドル毎に3パターンのエンディングが存在し、全てを見ようと思ったら3周しないと全てのエンディングを回収できない(一度クリアするとチャプター選択が出来るので、途中から恋愛値を調整する方法もあるが、結局シナリオを読もうと思ったら時間はそこそこ必要である)それから、折角主人公のビジュアルが存在するのに、プレイヤーに向かって愛を囁いて来るシチュエーションもある(乙女ゲーってそれを含めて楽しむものだと思うんだが)
 
この「愛の言葉を囁かれる」のがマジで無理!!!!!!
 
なんでこんな苦痛なの…?なんでときめいたり出来ないの?!
待って、そもそも…みんなときめくのこれ…?え…私無理なんだけど…?
 
当時はアセクシャルなんてものを知らなかったので、自分がおかしいのか、楽しみ方が間違ってるのか全然分からなくて、とりあえず苦痛だった…今ならわかる。私は恋愛感情を向けられるのがNGだから、「主人公=プレーヤー≒私」っていう状況で無理やり恋愛させられてるのが苦痛だったんだね!!!!解決した!!!お前もう乙女ゲーやるな!!!!!
 
でもね…プリンスたちと恋愛とか全然したくないんだけど、シナリオは読みたくなることがあってね…恋愛以外にも藻掻き苦しんで成長していく過程が描かれてるから…今、トラウマになってるDebutっていう作品をプレイするか心の底から悩んでる…なんで自らトラウマの原因に突っ込んでいこうとしてるのか……。わたし嫌なことはバンバン忘れてしまうので、結構記憶が飛んでて。。。「心に傷を負った」という記憶しかないんだ…友達から「誰々のあのエピソードが…」って言われても思い出せないんだ…南無三。
 
あとね…うたプリ最大の魅力って、プリンスのビジュアルじゃなくて「楽曲の良さ」なんだ…。Debut曲…めちゃくちゃ良いんだ…(おとなしく音源聴くかMUSICをやってろ)
 
そんな訳で、映画があまりに素晴らしくてプリンスたちの軌跡に思いを馳せ、数年ぶり?にPSPを充電したものの、電源が入れられないまま早2週間…
私はDebutをプレイできるのか?!(知らんがな)
 
ぶつくさ言ってるけど、ハードをSwitchへ移行してこれから発表される完全新作ソフトは勿論買うつもりだ。きっとまた血の涙を流しながら、画面と主人公越しに愛を囁いてくるプリンスたちに翻弄されるんだと思う。甘い言葉たちを喜べない私を許しておくれ…ツンデレではなくそういうセクシャリティなんだ…ゲームやらないとへぶんずの人たちの心の闇がわからんから頑張るよ、私…(プリンスたちは大体闇を抱えていたり秘密を抱えていたりする)(私の大好きな美風藍ちゃん様はロボ)(さらっとネタバレ)(さすがにもう良いよね、ゲーム出てから7年も経ってるもんね)
 
 
散々色々言ってますが、私はうたプリが大好きです。
公開7週目を迎える大ヒット上映中の「劇場版 うたの☆プリンスさま♪マジLOVEキングダム」をよろしくお願いいたします!!
 
 

無意識に掛け合う女の呪いを回避するために。

セクシャリティとはちょっと違う方向性のお話ですが、TLでちょっと目に止まったので。
 
 
 
私にはこのツイートが女性に対する呪いの言葉の羅列に見えて仕方がないんですが、10万以上のいいねがついていてビックリします。
 
別に論破したい訳じゃないんだけど、私の経験を踏まえて少しでも呪いを回避して欲しいな、と言う願いを込めて。
 
 
・圧倒的に身体にガタがくる
ちょっといくらなんでも早くないですか?私も確かに28くらいから体調とか体質変わってきたなとは思いました。花粉症が発症したのも多分その頃。でも、27くらいまでは全然遊んでたしライブで地方遠征して翌日も通常通り仕事とか全然してました。仙台は日帰りって決めてたくらい。元気過ぎか。(よく考えたら30でも大阪日帰り遠征やらかした。思い出した)
今は体力が落ちてしまって、やりたいことを色々我慢して体力の回復に務めてる…無念。
取り戻すべく、今年は脱・運動不足を目標に掲げています。
 
・27歳は結婚適齢期とみられる
外野の言葉は無視していいと思います。結婚は1人じゃ出来ません。年齢制限もありません。ただ、子供を何人産みたい…なんて希望がはっきりしているなら然るべき努力はしたほうが良いかも。今は医療も進歩しているけれど、やはり高齢出産はリスクが高いし、何より産むよりも育てるほうが大変です。元気に走り回る子供の成長は待ってくれない。育児は体力勝負です。25でガタが来るとか言ってられないと思います。ファイト!!
 
・友達がどんどん結婚していく
これは、まあ同意です。私の友人も大体27~30くらいで結婚する子が多かった。でも、別にこれも人と比べることじゃないですし。なんなら、私なんて恋愛出来ないんですから、結婚なんて無縁です。友達の幸せを心底願いながらおめでとうって伝えるだけ。でも、私もそれで十分幸せです。
 
・年下男子から姉枠として見られる
この辺はちょっと意味がわからないんですけど…年下からみたら常に姉枠じゃないの?恋愛対象に見られたいってこと?(私は恋愛対象に見られるのが最も辛いのでわかってあげられなくてごめん)
 
・職場の若い子が眩しい
まあ、若さって眩しいよね。分かる。でも、魅力って若さだけじゃないから。眩しいけど、別に過度にそれを羨む必要はない。年齢を重ねて増す魅力だって山ほどあるから。私は逆に、30越えてからの方が自由になれた気がする。若い女っていうマイナスのフィルターをやっと脱げた感じ。どんなに望んでも時間は戻らないから、どんどん自分を磨いていこう。憧れの少し年上の女性とか見つけると良いと思う。ちなみに、私の神様は椎名林檎様です。不惑を迎えられ、ますます輝いてる林檎女史。素敵過ぎます。私も同じ年齢を迎えたときに、少しでも誇らしく思える自分になるのが目標です。
 
・チヤホヤされなくなる
元々チヤホヤされるタイプじゃないので、これも共感し兼ねるのですが。。。
ほら、わたし妖怪なので(喪女の記事読んでください)顔面は問題外ですし、クソ真面目なので恐らく同世代の男性からはものすごく疎まれるタイプです。でも真面目なので上司ウケはそこそこ良い。まあ、上司も人間なので、可愛い女子と比較されたら勝てませんけど。別に仕事しに行ってるだけなので仕事上の不都合がなければ全然オッケー。ただし私の仕事の邪魔をするなら話は別だ。表へ出ろ。
と、書いてみましたがよく考えたらむしろ今のほうがチヤホヤされてるかも。若い女子たちが慕ってくれて、私の細やかな能力を褒めて喜んでくれます。最高。
仕事などの能力が認められ、喜ばれることでチヤホヤされるのは吝かではありませんが「若い女」と言う理由で持て囃されても面白くないなっていうのが、率直な感想です。
 
・女のモテは23がピーク
それは周りの男の程度が低いのでは…と思ってしまいます。取り立てて人に勝る実力がなくても自分が優位に立てる相手のピークが23なのかな…なんて。あと若さに妄執してる、若さだけが価値だと勘違いしている残念な人とか。人生経験が浅い女の子を自分好みに育てたい系?光源氏か。
ちょっと性格悪いですかね?
 
・友達が年々減る
なんで減るのでしょうか…。これもちょっとよくわかんない。友達と会う回数が減るなら分かる。
ちなみに、私は物凄く多趣味なので、友達は年々増えてますね…。まあ、あとは私の中には恋愛っていう選択肢がないから、友情と趣味と仕事以外に優先すべき項目がないのもあるかも。恋愛や家庭が生活の中心になると、確かに友人との時間は減りそうです。それでも、会いたいと思ったら自分からどんどん誘えばいい。みんな忙しくても、数ヶ月前から早めに日時を決めて約束を取り付ければ会う機会はいくらだって作れる。それをせずに友達が減ったとか誘ってくれないとか言うのは少々傲慢だし怠慢では。誘われるのを待つんじゃない、自分から誘うんだ。
 
・仕事のしんどさが上がる
どういう意味だかわからないんだけど、責任が重くなるのは仕方がないと思う。中間管理職的な?上と下から挟まれてとか??人間関係方面は確かに面倒なお年頃かも知れないけど。あとは職場次第かな…。30手前までいた職場は大嫌いな営業も居ましたけど(約束を守らない、嘘をつく、自分の都合で周りを動かそうとする)会社は別に嫌いじゃなかったし。業務はちょっと意味がわかないくらい忙しい時期とかあって通勤中に泣いたりしてたけど。あ、私辛かった系の出来事どんどん忘れていくタイプなので、たぶん結構しんどいこともあったと思うんですけどあんまり覚えてないんだな…。思い出は美化されていくタイプ。ちなみに辛いことしか無いと全部忘れ去ります。専門時代の記憶が無いのは恐らくこの所為。
 
 
色々私の思いの丈をぶつけてみましたがいかがでしょうか…。
100%賛同や共感が得られるとは思ってないです。みんな違ってみんな良い。
たぶん、20代って学生の頃よりも世界が格段に広がるのに、自分がその距離感に追いつかなくて、なんとなく辻褄を合わせたくて周りと比べがちなんじゃないかと。自分のものさしが定まってないから、とりあえず隣の芝生が青くて仕方がない的な。
もうね、学校っていう閉鎖空間から出たら、誰かと同じものさしで比較や評価はされなくて良いと思うんです。どうしても女性って若さを絶対の価値と捉えがちですよね。確かにお手入れサボっててもそこそこ綺麗な肌は羨ましい。でも、それはあくまでも魅力のうちの一つで、全てではない。
 
年齢を重ねることが女性が輝くことの足枷になるような価値観なんてクソ食らえだって思ってます。
そんな誰のためにもならない価値観に惑わされて、従う必要なんて無いです。
たぶんこの人にとっては、たまたま25歳頃が転機で、物事を考えるタイミングだったのでしょう。
そして辻褄を合わせるために、キャッチーな言葉を並べて誰かの共感を得たかった。
でも、マイナスな共感は場合によっては呪いみたいなものだと思うので。
今はそう思うかも知れないけど大丈夫。
恐らく、30を越えたらもっともっと楽に自由になれると思う。
個人差はあるから絶対とは言えないけど。
少なくとも、私は30越えてからの方が精神的に自由を謳歌してます。
 
 
 
 
私からは以上です。

セクシャリティを「自認」すること。

皆さんはどんなタイミングでLGBTアセクシャル含む)を自認しましたか?
 
私の場合、10代~20代半ばまでは興味の対象が趣味に全振りしていて(まあ今もですけど)それでもどこか他人事のように
 
「行動範囲が広がればそのうち彼氏が出来るだろう」
「さすがに30くらいになったら結婚願望も生まれるだろう」
「恋愛にはタイムリミットは無いけど出産は遅くなるほどリスクが高まるし、子供が欲しいと思えば真面目に婚活するだろう」
 
そんな風に呑気に考えてた。
26を過ぎ、周りの友人たちがどんどん結婚していく。
結婚したいと言う友人は真面目に婚活をしている。
30歳の頃、重い腰を上げて周りに合わせるように婚活イベントなどにも参加してみた。
 
疲労だけが溜まり、何一つ残らない。
他人に対して、興味が持てない。
 
仕方がないので、35歳くらいになったらまた頑張ればいいや…とそっと諦めた。
 
20代後半は「彼氏が居ない」ということ、「結婚できないこと」に対する劣等感が酷くて、何となく適当な笑顔で友人たちの話を聞いていた気がする。
紹介するよと言ってくれる友人も何人も居たけど、残念ながらなに一つまとまらない。
そりゃそうだ、だって興味が持てないんだもの。
非常に申し訳ない気持ちになるから、少しずつやんわりとお断りするようになった。
 
そんな中、私はアセクシャルという存在を知る。
一番最初にその単語を聞いたのは恐らくTwitterで、LGBTと言う単語が少しずつネット上では耳にするようになり、TVではまだあまり話題に上っていなかった頃だったと思う。
 
私にはレズビアンの友人がいる。
なので、セクシャルマイノリティという言葉は知っていたし、同性愛に対する偏見は無かった。
ただ、LGBTよりももっと細かく分かれる中で「他人に恋愛感情が向かない」ことがセクシャリティの一つとして存在することを初めて知った。
そのとき、自分がそうである可能性、そして他にもそういう人がいるんだという安心感を覚えた。
 
ただ、難しいのはここからだった。
同性に対して「恋をする」「性的な欲求を抱く」ことは自覚しやすい。心に折り合いがつかなくて受け入れられなくて悩むことも沢山あるだろうけれど「あること」はいずれ証明が出来る。
対して、アセクシャルは「ないこと」だから証明が出来ない。
あくまでも、自分がそうだと「自覚している」「自認していること」だけが全てなのだ。
 
自認っていう言葉は、なかなかに重い。
 
なので、先日も書いたけれど、あくまでも「現状は」そうだと「自認している」。
今の自分にとってはそれが自然な状態で、正しい感情だと思っている。
それ以上でもそれ以下でもない。
他者に対しても、ただその事実を説明することしかできない。
 
 
あまり期待はしていないけれど、今後奇跡が起きて、盲目的に誰かに恋をすることがあるかも知れないから、大きな声で「私は恋はしないんだ!」と断言はしたくない。その可能性を積極的に潰すつもりはない。今は恋をする自分なんて全く想像も付かないけれど。
 
 
Twitterは比較的若い年齢層の人も簡単に始められるSNSだからかも知れないけれど、アセクシャルのタグや単語で検索すると高校生や大学生を多く見掛ける。あと圧倒的に女の子が多い。
 
個人の自由ではあるけれど、彼女たちの場合は「まだ出会ってないだけ」の可能性も大いにあると思うので、「自認」という名の呪いを自分に掛けないようにして欲しいと思う。
性に対する情報がオープンだったり、初体験の年齢が若くなっていたりするので、集団生活をしていると「人と違う自分」に不安になることがあると思う。その気持は凄く分かる。私もそこを通ってきたから。
高校まで彼氏が居なかったけど、専門学生や大学生になって初めての彼氏ができた子は沢山いたし、社会人になって、人生で初めてお付き合いした人と結婚した友人もいる。
自分が恋をしないくせに押し売りするつもりは無いのだけど、でも自ら積極的に可能性を潰すのは少し勿体無いかな、とは思う。
若いと世界の広さにも限界があって、凄く不安だとは思うけど、無理に恋をしなくてもいいし、恋をしてもいいし、アセクシャルを自認したからといって無理に恋の可能性に蓋をしなくてもいいんだと覚えておいて欲しい。
 
人の心は移ろうものだから。
あまり思いつめないのが吉だと思う。
 
「あー…この人も色々経験してきてやっと自分が落ち着けるところに辿り着いたんだな…」っていうアラサー同世代以上のアセクシャルを自認している方には勝手に親近感を抱いて居るし、同じ様な境遇で悩んだり困ったりしていたら、励ましたいと思ってしまう。
もしもまだ年若い貴方が、今の私と同じくらいの年齢になっても恋を持ち合わせてなかったら、その時はきっと同じ様な悩みにぶつかるかも知れないけど大丈夫。
そうなったらその時に悩めばいいし、きっと誰かが手を差し伸べてくれる。
恋をしなくても、私も貴方もひとりぼっちでは無い。
 
独りじゃないと思えるのは、SNSが大流行しているこの世の中の利点だ。
傷の舐め合いでもなく、依存でもなく、ただこの世界の何処かには同志が居るという空間の心地好さ。
 
 
今日も私は恋を持ち合わせていないけど、それなりに楽しく生きていける。
願わくは、そう遠くない未来に、アセクシャルにももう少しだけ優しい社会が訪れんことを。

カミングアウトについて

ずっと悩んでいる事がある。
カミングアウトをするか否かについてだ。
 
一応、自分としては今はアロマンティック/アセクシャルを自認している。
恋愛感情が無く、他人への性的な欲求も無い。
 
まあ、恐らく今後も変わらないとは思うのだけれど、色々と考えると、これを他人へ宣言するメリット・デメリットの天秤がどちらにも強く傾かないのである。
 
以下、足りない頭で考えるメリット・デメリット
 
《カミングアウトするメリット》
・恋人を作れというお節介を一刀両断できる
・結婚しない理由として挙げられる
・友人たちにこれ以上要らない心配を掛けずに済む
・ついでに紹介も断れる
・独り身であることを見下されたり同情されずに済む(かどうかは微妙だな…)
 
《カミングアウトするデメリット》
・まず、そもそもアロマンティック/アセクシャルが伝わらない
・言葉で説明しても伝わらない
・「まだ出会ってないだけ」と余計に諭される
・不思議な生き物を見る目で見られる
・同性愛以上に理解されない
・今後、もしかしたら本当に「出会う」かも知れない「誰か」を拒絶してしまう可能性がある
 
 
現状、恋愛感情は無いのだけれど、別に恋愛に対する嫌悪は無いので、もし今後出会う誰かに寄って、私が恋を手に入れられるかも知れないなら、それはそれで悪いことじゃないと思っているので、全面的に他人を拒絶したい訳ではない。
(ただ、割と男性に対する苦手意識が強く、また恋愛に届かずとも好意を向けられると凄く居心地が悪くなってしまうので、やはり難しいかな…とは思っている)
虚勢を張って、無理に1人で生きていきたいとも思っていない。
30を越えているので、両親の老後も、自分自身の経済面も健康面でも、不安は尽きないのだから。
 
話が逸れた。
とにかく、同性愛以上に複雑で、形がなくて、自認しか存在しないこのセクシャリティは、他人に知ってほしいと同時に、自分がそうであると積極的に発信するメリットもあまり感じられない厄介なセクシャリティだと思ってる。答えが出る気がしない。
 
と言いつつ、アセクシャルの名詞を出さずに、やんわりと母には現状、恋愛に興味が持てないこと、結婚の意志が無いことは伝え済みである。年末年始に親戚が集まると恒例の話題「いつになったら結婚するのか」を母から振られないために先手を打ったのだ。
納得してくれたかはわからないが、結婚を勧められるのがとても負担だと言う私の気持ちは伝わったと思いたい。
孫を見せてやれない申し訳無さは若干あるものの、妹がすでに結婚して子宝にも恵まれているのでそっちを全力で可愛がって、支援してあげて欲しい。
 
友人には、3人だけ伝えた事がある。
1人はレズビアンの子。セクマイの当事者だから凄くフラットに、ただ聞いてくれた。
もうひとりは、打ち明けた時に「私もそうかも」と共感していた。彼女の話を聞くと、確かに親しいものを感じた。
最後の1人は「まだ出会ってないだけだよ。きっと違うよ」と恐らく本当に善意で私のことを案じてくれた上で、否定した。
 
少しの悲しさと、これがきっと普通の反応なのだろう、と腑に落ちた。
 
別にアセクシャルを否定した彼女に対して、マイナスの感情は一つも湧いてこない。今でも彼女のことは友人として好きだし、これからも付き合い方を変えるるもりは無い。
ただ、やはり理解されにくいセクシャリティなんだな…という事実を突きつけられただけだ。
 
 
人にどう思われても、私は私でしか無いから、これといって態度を変えるつもりはないのだけれど、今のところ、焦ってカミングアウトすることでもないな…という気持ちで過ごしている。
 
 
この問題についてはもう少しゆっくり考えて、必要な時に必要な相手にだけ伝えれば良いかな、と思う。
 
 
 
 
 

セクシャルマイノリティは「悪」では無い。

この数年で、LGBTという言葉が急激に世間に広く知られるようになってきた。
 
私は同性愛に対する偏見は無い。
同性愛も、異性愛も、両性愛も、それは個人の自由だと思うし、他人がとやかく言う問題でもないし。ただ、日本人っていうのは特に人と違うことを恐れたり、嫌ったり、悪いものとして捉えがちなので、どうしてもマイノリティに対する許容が狭い気がする。
 
私達は、遅くても小学生の頃から物事を決める時に多数決という方法を取らされる。
そして、多数派(マジョリティ)の意見が採用される。
それ自体は全く珍しくないし、むしろ当たり前だし、今まで特にそれに疑問を抱かなかった。
 
大人になって、自分が少数派(マイノリティ)な立場になって初めて気づく。
 
世間は、マイノリティを「悪」と履き違えがちだ、と。
 
多数決で方向を決めると言う行為は間違っていないと思う。
でも、その過程で無意識に刷り込まれていく。
マジョリティが「正解」でマイノリティは「間違い」だと。
 
その事に気付いて、凄く怖いことだと思った。
 
刷り込まれた価値観は、簡単には覆らない。
だって多数派に居ることで「自分が間違っていない」という安心感が得られてしまう。
少数派に属してしまうと「人と違う」ことがいつの間にか劣等感にすり替わる。
 
人と違っても良いんだっていう価値観がもっと広まれば良いとは思う。
それは、一方的に「多様性を受け入れろ」という乱暴なものじゃなくて「違うことは悪ではない」し、「そういう人もいる」というただの事実として認識するだけで良いはずだ。
 
感情レベルで言うと…難しいかも知れないけど。
でも、知識としては知っていても損は無いと思う。
小学生くらいからそういう教育がされるようになれば、当たり前になっていくかも知れない。
 
 
LGBTの話に戻る。
 
セクシャリティなんてとても個人的でデリケートなもの、本来は人と比べる必要なんて無いはずなのだけど、恋愛はひとりで完結しないからそういう訳にもいかず。
 
少数派のために多数派の権利が損なわれてはいけないと思うけれど、同性婚というものだけに限定して言えば、絶対的に多数派に損は発生しない。多数派の人は、今までどおり。少数派の人が、今まで受けられなかった社会的な保障が受けられるようになる。
そういう意味では、そろそろ同性婚は認められても良い気がするけど。
 
そんな中、うっかり自分が辿り着いてしまったセクシャリティ
アセクシャル/アロマンティックは、セクシャルマイノリティの中でも更にマイノリティな部類だと思う。そして、LGBTの中でもちょっと特殊だ。
場合によっては、同性愛よりも理解が得られない。
博愛な人はきっと最初はびっくりしても、例えば隣人の同性愛を受け入れられると思う。
対象が違っても、人を愛することは根本的には同じことだから。
 
アセクシャル/アロマンティックの「他者に恋心を抱かない」と言う感覚は、「恋心を持ち合わせている」大多数の人には「感覚的に」どうしても理解できないらしい。
「持っている」人からすると「持っていない」感覚は擬似的な体験が出来ないし想像が出来ないのだ。感情は物質ではないから、外部からの干渉で体験する方法が見当たらない。
 
こちらがマイノリティなのは十分過ぎるほど分かっているので理解までは求めてないのだけれど、どうか「そういう人もいる」と知ってほしい。
そして「恋愛の素晴らしさ」「恋人がいる生活の素晴らしさ」の押し売りは出来ればしないで欲しい。こちらも30年以上人間の世界で生活しているので「恋愛の素晴らしさ」みたいなものはなんとなく分かる。恋愛を題材にした作品はこの世に沢山あるのだから。そして、少女漫画も恋愛小説も、ドラマも映画も、それなりに楽しめるくらいにはわかってるつもり。
 
ただ、自分自身が恋を出来るかと考えると、どうしても難しい。
フィクションの恋愛は見ていて楽しいけど。
 
 
恋愛とアルコールは似ていると思う。
 
「すべての人が絶対的に必要」とは限らないもの。
「体質」で向き・不向きがあること。
好きな人にとっては、とても価値があり楽しかったり幸せなもの。
依存性があって、過度に依存してしまうと生活に支障が出る可能性があるもの。
付き合い方を間違えると、人生を狂わせてしまう可能性があるもの。
 
アルコールが苦手な人に、無理に勧めるのは良くないことでしょう?
最近ではアルコールハラスメントなんて呼ばれたりするし。
 
恋愛も他人に強制するべきものでは無いと思う。
それは、アセクシャル/アロマンティックに限らず。
「今」は学業や仕事を優先したいと考える人にも言えるはず。
 
恋に夢中だと、きっと世の中がキラキラして見えるのだと思う。
だから、その素晴らしさを人に伝えたくて、つい無邪気に押し付けてしまうのだろう。
 
それは、酔っ払いがシラフの人にお酒を無理やり勧めてるのと本質は変わらないと思う。
たとえ悪意が無くても、いまそれを必要としない人には共感はし難いし、本当に苦手な人にとっては迷惑になってしまう。
 
余談だけど、私はこの恋愛至上主義を押し売りする行動を「ロマンスハラスメント」と呼ぶことにした。略して「ロマハラ」。別に使わなくていいけど。気に入ったら使ってください(笑)
 
 
私は、みんながお互いに我慢を強制し合う世の中よりも、みんながそれぞれの幸せを感じられる世の中のほうが絶対にいいと思うから、セクシャルマイノリティの人たちがもう少しだけ生きやすい世の中になったら素敵だなと思う。
 
そして出来れば「恋をしない」生き方があることも知ってほしいし、そういうものとして放って置いて欲しい。
 
これはあくまでも私の考えであって、アセクシャル/アロマンティックのすべての人の気持ちでは無いし、他人の考えてることなんてわからないから、代弁者として前に立つつもりは無いけれど、もしも「恋を持たない」誰かがこのセクシャリティやそういう存在が居ることを知ることで、少しでも生きやすくなれるなら良いなとは思う。
 
 
「恋を持たない」生き方は「悪」では無いよ、と。
少なくとも、私はそう思って生きていく。
 
 
 

喪女という悪口を無効化した。

喪女。
所謂モテない女を指すネットスラング
ずっとそういう扱いを受けてきたから、私の自己肯定感はとても低い。
酷い呪いの言葉だ。
いまでこそ、私は「恋愛感情を持たない」というセクシャリティを知って、恋人が居ないことを昔のようにネガティブに捉えなくなった。だって、欲しくないんだもの。私は恋っていう感情を持ってないんだもの。仕方ない。
でも、10代から20代に掛けて、周りの人間にどんどん恋人ができて、新しい世界が広がっていく様子を目の当たりにすると、どうしても比較してしまう。
誰にも選ばれない自分の惨めさとか、そういうものに押しつぶされそうになった。
今思えば、自分が欲してない癖に、誰かから求められたいなんてわがままにも程がある。
でも、私は見栄っ張りだから、惨めな自分が嫌だから、「誰にも相手にされない自分」が「欠陥品」にしか思えなくて嫌だった。
 
悲しいかな、この世は恋愛至上主義
恋人がいないことは、イコール「人間として魅力がない」と、見られている気がする。
30越えて彼氏が居なくて、性交渉の経験もない容姿の優れない女。
どう見たって事故物件だ。誰だって近寄りたくないだろう。
 
多分、これで私がもっと自分に自信があって、仕事も順調でバリバリ稼いでる素敵なオトナだったら違ったのかも知れない。
正直言って、私は自分の容姿が好きじゃない。好きじゃないと言うか、自信がない。
太りやすいし、ニキビができやすくて顎の周りは全然治らないし、目は瞼が腫れぼったくて小さいし、鼻は潰れてるから横顔もブサイクだし。
若さや可愛さで男性から優遇されたことなんて無いと思う。
気が強いのも問題だったかも知れないけど。
 
あぁ、痴漢に遭ったことがないのは良いことだけど、ナンパもキャッチも殆ど無いので、私は人間には認識されないのかも知れない。
開き直って自分のことを「妖怪」と思うことにした。
早く人間になりた~い。
そんな冗談も言えるくらいには大人になれた(のかも知れない)
一番怖かったのは、鏡に映る自分はもしかしたら私だけに見えてる幻覚なのではないかと思ったこと。今でもちょっと思う。だって、私の目には、鏡の中私は決して美しくはないけれど、一応人間の女の形をして見える。私は私の容姿を正しく認識できないみたいだ。
世の中に漂う私の実態は底辺のデブス…辛い。人間になりたい…。
 
やめよう…事実の羅列でも心が荒む…。
 
話が逸れた。
まあ、自分が恋愛感情や他者に対する性的欲求を抱かないって事に気付き、受け入れてしまった今、私の容姿がとても残念でも人と比べたり競争する必要がなくなったから困らない。
嘘、ちょっとだけ困る。あまりにも酷い姿だと毎朝鏡を見るのが悲しいからやっぱりそれなりな人間に擬態したい。
その辺は自己責任と自己満足だから適当に頑張れ、私。
 
とにかく、今はひとまず恋愛と結婚が義務であるという呪縛から勝手に逃れたつもりでいる。
少なくとも今の私にはあまり必要がないものだから。
大多数の人のマネをして、欲しくないものを無理に手に入れなくていい。
喪女と言われても、それはもはや私を蔑む言葉にはならない。
私にとって「モテる」という価値観は意味をなさない。
 
誤解なきよう、私は恋をしないけど、愛が無い訳じゃない。
家族や兄弟は大事だと思ってるし(ある意味こちらも呪いに近いけど。これはまた別の機会に)
友人が幸せな結婚をすれば嬉しいし、友人や兄弟の子供はとても可愛いと思う。
自分が結婚したいか、産んで育てたいかと聞かれれば、それはNOだけど。
妬みとか全く無くて、心からおめでとうって言える。
そういう自分には、ちょっとだけ安心する。
 
 
残る悩みは、仕事。
経済的な不安さえなければ、私の悩みなんてだいたい解決する。
世の中の9割はお金で解決できる。間違いない。だからお金が欲しい。
まだ全然結果を出せてないけど、良いご縁は沢山ある予感がしているので、こちらは私が腐らずに一つ一つ大事に結んでいきたい。
 
相変わらず自分に自身を持つことは難しい。
たぶん、人の10倍くらい自信がない。
ただ今は、少しでも自分を蔑ろにしない様な意識を持ちたい。
誰よりも私が、私を大事にしてあげなきゃいけないから。
 
多分、これからも同じ悩みを飽きもせず繰り返し悩んで行く。
正解がないのだから仕方が無い。
そういうときは時々立ち止まって、こうやって文字にしてみる。
アウトプットする作業を、今年はさぼらないようにしたい。
 
 
 
 
 

自己紹介。

思えば10代の頃から恋バナが苦手だった。

恋愛に興味が持てなかった。

きっと、今の自分世界が狭いから。

少し広い世界を知って年齢を重ねれば

いずれ恋をして結婚して子供を持って…

そう思っていた20代

周りの友人がどんどん結婚して子供を産み、親になっていく。

なのに、一向に結婚願望も生まれず、婚活にも気が向かない。

 

どうやら私は恋愛に不向きらしい。

 

インターネット自由情報が得られるこの時代

ロマンティック/アセクシャルというセクシャリティ存在を知る。

 

世の中には、恋愛感情他人に対する性的欲求を抱かないセクシャリティもあるらしい。

それを知って、私は少し肩の荷が下りた。

無理に恋をしなくても良いんだって思えた。

 

誰かの代弁者にはなれないけど、恋を持たない誰かがこのセクシャリティを知って、少しだけ安心して生きられたら良いと思う。

わたしは、ただわたしとして生きていきたい。